2008年12月8日月曜日

人がいきいきするランドスケープ・デザイン

進路についてどうしようか迷います。
デザインするのか計画するのか。
自分の作品を振り返ってみると、形態のほうからプログラムの方へ、考えていることがシフトしていることがわかる。今振り返れば、かたちに対する反抗心みたいなものが混じってたり、プログラムの考え方が全然わからなかったところから少しずつわかってきて、そっちのほうが大切なんじゃないかっておもいながらやってたりした。
企業の職種をみていると、やっぱりプログラムを考えるのとデザインをする人は別になってる。私は、今の現状では、どちらかというとプログラムたてる側の人間みたい。私の中では、そんな境界をつくっていたつもりはないけれど、自分がやっていることは、デザインでなくて、プログラムだった。また、分からないことが多すぎて、そんなことにも気が付かなかった。
広告系のデザイナーの人の本を読んでると、すごく共感する部分が多い。デザイナーは医者みたいなもんだって。問題点を見つけて、患者が訴えている部分とは違う他の部分でなにかわるいところはないかどうかも同時に看る。こういったことは、デザインをするだけだと、できないことじゃないかなって思う。建築やランドスケープの場合は、規模が大きいから?それとも関わっている人が多いから?か、デザインとプログラムが仕事として分業されている場合が多いような気がする。
わたしは、得意不得意もあるから、そこを見てたら偉そうなことは言えないけれど、やっぱり自分が見つけた問題点に対して、デザインで答えを出したい。ただ、広告と違うところは、建築やランドスケープの場合、デザインといったら形態でしか答えが出せないことのような気がする。きっとそれは構築物だからなのかな。広告は、そう考えてみるとソフトのデザインに近いものがある気がする。人の深層心理まで入りこんでいくような・・・。
ランドスケープでもそういうデザインができたら、もっとおもしろいデザインができるんじゃないかなって思うんだ、私は。この青二才が何をぬかしてるんだってつっこまれそうだけど。きっとだから、必ずしも自分が出したデザインがかたちだけであってほしくない。かたち以外でデザインしていることもある程度許容されうるような場所を望んでいるのかな。
そうやってつらつら書いていたら、やっぱりこういうことはランドスケープ・デザインっていわない気もしてきた。笑 私自身は、ランドスケープ・デザインを、人がいきいきしている風景をつくりだすもの・ことのデザインととらえているから、別に建築にこだわるわけでもなく、ランドスケープこだわるわけでもなく・・・。
そうやってかんがえてみたら、コーポラティブパークでは、人と人の関係を、ものおきコウエンでは、公園での人の活動をっていうふうに、具体的な人のアクティビティがどうしたら起こるのかを考えてる気がする。やっぱり必ずしも形態の操作ではないけれど、それを軸にデザインしようとしてきたことは間違いない・・・!ちょっと自分のことがわかったような気がするけど、はて、私はどういうところで仕事をしていったらいいのかは、まだまだ考えないといけないようです。

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